ドイツ語も英語も話せない普通の主婦がベルリンで暮らすことになった話

 

ドイツのタクシー


①  ベンツが肌色?

 

わたしたち一家はベルリンで壁が開いてから暫くして西ベルリンで暮らすようになりました。


凄く広めでボロボロではありましたが、夫の願いで東ベルリンの電波塔が良く見える築150年は経っていると思われるマンションを借りました。

 

30年も前の話なので、今とはだいぶ事情が違っていると思いますが、NOVAやTVのドイツ語会話では知ることのできないベルリンでの生活についてお伝えしたいと思います。

 

 

日本からドイツへ向かう時、

やっぱり飛行機はルフトハンザがいいと思って機体だけは頑丈な飛行機を選びましたが、まるでサービスがないフライトは辛かった。


子供(1歳半)も飽きてしまうし、ぐずらせないないようにするのは大変。これが、スカンジナビア航空SAS)だったらと何度思ったことか(ため息)


特にロシアの上空にくると一度は降りたくなってしまう。

そこで日本語を話せるスタッフさんにきてもらって降りれないか聞いてみた。
駄目に決まってることはわかっているけれど気を紛らわす上でも聞いてみる。(これは反省、すぐに人に頼る性格を改めなくては)


ロシアで降りたらとんでも無いことになると様々な恐い話をしてもらう事になった。子供も小さくても命がかかっている事がわかったらしく、真剣にスタッフさんの話に聞き入る。我慢しなければならない事を理解してくれた。


話が終わると眠たくなったみたいで席で寝てくれてとても助かった。

(ルフトハンザのスタッフの方にはVielen Dankeです。日本人のスタッフの方はとても親切でいい方でした)

 

 


やっとのことでベルリン到着

 

到着した空港はまさかのテンペルホフ空港[Flughafen Berlin-Tempelhof]

 

ここはナチスドイツが軍事用に使っていた空港で、普通はテーゲル空港[Flughafen Berlin-Tegel]に到着するはず。ところが何かの不具合でテンペルホフ空港に到着してしまった。


今は無くなっているテンペルホフ空港は、空港ならではの賑わなく恐ろしいナチスドイツの香り漂う無味乾燥なところだった。


「何で私、こんな所に来ちゃったのだろう」とこれから起こるベルリンでの生活が不安でいっぱいになった。

 

 

追い撃ちをかけるように入国審査

ただでさえイカツイドイツ人が怖い表情で立っていた。

 


「あー入国審査に落ちたら日本に強制送還だ!」と不安に思う中、何とか審査を終え、空港を出るとイカつい車が並ぶTaxiplatz。

 

夫が「これが噂のドイツ自慢のベンツタクシーだよ」と教えてくれる。


でも何か変?
確かベンツは黒い色してたよね!

 

それが、見える車はみんな肌色


実際に見てみるとどうしても肌色のベンツには違和感を感じる。
 
なんて言ったって高級感がない。日本のタクシー「東京無線」の方が良い車っぽい。

 

それにいくら待ってもドアが開かない。夫がドイツのタクシーは自分でドアを開けなければならない事を教えてくれる。
(すごく不便。ちょっとしたことかもしれないけれどこれは日本の便利さを痛感させられた。)
だって、降りた時も締めなければならない。(小さな子供を抱っこしている母親には手間だ)

 

とにかくタクシーに乗ってホテルの名前と通りの名前と番地を言ってホテルまで送ってもらう。

 

そして清算。NOVAで習ったチップ計算しなくちゃ。

そんな余裕はない。金額の10パーセントなんてとっさに計算できる?

とりあえずお金持ちと思われている日本人だし今日は一生に一度しか泊まれないヒルトンホテルだし、5mark(日本円で500から700円くらい)
払っておこう。日本で両替えしてきた小銭を渡す。


あとは「Vielen Dank」と「Gute Nacht」

ホテルのチェックインは夫に任せて部屋に直行!一生に一度の贅沢を味合おう!

お風呂にはいってGute Nacht