ドイツの友人と水牛のチーズ

ブランデンブルク門で試食販売

 

マルクトの様子(stock.adobe.comより)

 

長くて暗くて寒い冬が終わると、同じ場所とは思えないくらいの素敵な季節がやってきます。

 

ベルリンに住んでいた頃、ギリシャ人の夫を持つゾフィー(Sophie)という友達ができました。

 

それが、たまたまかもしれませんが……彼女の夫・クリス(Chris)は、働かないのです!

ギリシャ人は働かない」というのが本当かどうかは分かりませんが、クリスに限って言えば本当です。

 

クリスの仕事はギリシャから水牛のチーズを仕入れることなのですが、クリスが働かないのでゾフィーがチーズを売っています。

でも、とても良いものを仕入れてくるので、ゾフィーは彼を応援したいと言うのです。

 

ゾフィーがお土産に持ってきてくれた水牛のチーズを実際に食べてみると、すごく美味しい!

 

日本で売っているモッツァレラチーズよりずっと美味しくて、ワインにぴったりのチーズです。

 

でも、クリスは働きません。

これだけ美味しいチーズを仕入れておきながら、自分では売ろうとしないのです。

ぶっちゃけ怠け者です。

 

ゾフィーがなんとか水牛のチーズを売りたいと言うので、あれこれ策を考えることになりました。

 

私は「日本では試食販売ってものがあって、お客さんに試食してもらって売る方法がある」と言うことをゾフィーに話しました。

実は私、試食販売が得意なんです。アルバイトでやったことがあって、自分でもなかなかだなと思っています。

 

ゾフィーは乗り気になって「そんなやり方があるんだ!一度見てみたいからやってみて」とお願いされたのです。

 

当時ヨーロッパでは試食販売をしているところはありませんでした。

そこでもっと商品が売れるように、チーズだけでなく、フォションの紅茶とりんごのケーキ(Apfelkuchen)の試食もやったらどうかと提案しました。

 

この前作ったApfelkuchen

Apfelkuchenはベルリンの家庭料理でベルリンっ子に馴染みがあるし、試食販売の極意は何と言っても子どもに食べてもらうこと!

 

試食販売で一番大切なのは子どもを狙うことです。

子どもがおいしいと言えば、大抵の大人はしょうがないなと買ってくれます。

 

そこで、子どもに馴染みのあるりんごのケーキを出して甘い紅茶とチーズをセットにして試食販売をすることにしました。

 

日曜日に向けて、ケーキは10本ぐらい焼きました。

そして待ちに待った日曜日の朝。

今の季節はまだ朝方は少し肌寒いので、紅茶は温かいものにしました。紙皿に紅茶とケーキとチーズ、ようじをセットして売ってみることにしました。

(つまようじってベルリンでも普通に売っているのです。ちょっとびっくり)

 

 

 

いざ、マルクト(Markt)へ!

 

食品だけでなく、食器や様々なものが売られています(stock.adobe.comより)

 

日曜日の朝7時、準備をしてブランデンブルグ門のマルクトへ出発!

 

そこにはもうたくさんの露天商が店を出していました。

やっとの事で場所を見つけ、店開きです。バイトで培った腕が鳴ります。

試食販売は何と言っても勢いが大切ですから、日本語でも大丈夫です。

 

バナナの叩き売りよろしく、

「さあさあアッフェルクーヘンいかがですか!」

 

お盆にセットした試食品を片手に、

Gutenmorgen! (おはよう)

Ich komme aus Japan! (日本から来ました)

Ich bin Japanerin! (日本人です)

と声を張り上げて、話せるドイツ語を並べました。

 

そうしているとたくさんの人が集まってくれました。

"Bitte, bitte" (どうぞ)と言いながら食べてもらいました。

 

Ich bin Japanerinと言ったのも良かったみたいで、「日本から来たの?」と声をかけられました。

ドイツ人には親日家が多く、好感を持ってもらえたようです。

 

そうして、あっという間に試食品は無くなってしまいました。

そして、水牛のチーズやアッフェルクーヘンも2,3時間で完売しました。

 

ゾフィーも私もすごく嬉しくて、二人で手を取り合い、

私は日本語で「やったネ やったネ!」

ゾフィーはドイツ語で "Genau!" と言って、喜びました。

 

ブランデンブルグ門にふりそそぐ暖かい太陽が、私たちを祝福してくれているようでした。

 

 

 

(文中に書かれている友人の名前はすべて仮名に置き換えています)

 

ベルリンの春・イースター

 

ベルリンのイースター(Ostern)

 

 

ベルリンで3年間暮らしてきた私ですが、皆さんに一番お伝えしたいことはイースターについてです。

 

イースター(photoACより)

 

名前は知っていても、未だ日本では馴染みのないイベントではないでしょうか。
しかしベルリンでは、クリスマスやハロウィンよりも大切な催しです。

 

これはヨーロッパ、北欧で1年間のうち半分以上は暗がりの中で過ごしてみないと分からないかもしれません。
友達も親戚も「いいわね。ヨーロッパに行けて!」と羨ましがりますが……

 

 

ベルリンの冬は寒い!


 

ベルリンの冬(photoACより)

 

実際に暮らしてみてください。日本で思うヨーロッパ、北欧は私から見れば全然違います。
確かに、春から夏にかけては最高です。街並みは美しいし、木々の緑も心地よい風も日本より良いです。
 
でも秋になり紅葉らしきものが終わると、ある日を境に一気に暗闇の世界に入るのです。
気温は一日に15度以上も下がります。朝は半袖でも昼過ぎは長袖、さらに夕方にはコートがいるくらい気温が下がるのです。

 

ベルリンでの初めての冬を迎えた時は本当に驚きました。もう、寒い!すごく寒い!

 

ビールなんかベランダに積んでおいたら全部、寒さで凍ってバキバキに散らばってしまいます。

わずか10分足らずの駅までの道を歩いていると足は凍りついてしまいます。
日本の靴用のホッカイロなしには近くのコンビニにも行けません。

洗濯物も外には干せませんし(凍ってしまうから)勿論ふとんも干せません。

 

 

月みたいな太陽

 

冬が近づく毎に太陽の出る時間が短くなり、春や夏の太陽と同じものとはとても思えないくらいの弱々しい光の太陽になってしまうのです。
まるで温泉卵の黄身が白身で包まれた感じの色をした太陽がほんの2、3時間、やっと顔を出したと思ったら、午後3時くらいには日没を迎え夜になってしまうのです。

 

あんなにも弱々しい光がまさか太陽であるとは思わず、
ベルリンでできたドイツ人の友達に、あれMonat?(月)と訊いてしまいました。
いやいやSonne(太陽)だよ、と言われた時には俄かに信じることはできませんでした。

 

ショックでした。月だと思った丸い光が太陽だったとは?

 

ヨーロッパの半年は暗い穴蔵の中で生活するようなものです。


気持ちも落ち込みます。体調も悪くなります。

道で見かけるホームレスさんたちの多くは腰が曲がって肩がうずくまり今にも死にそうに見えます。
太陽の光はビタミンDや幸福ビタミンと呼ばれるセロトニンも作ってくれます。
半年間はこの恩恵にあずかれなくなるのです。ヨーロッパにうつ病統合失調症の人が多いのも頷けます。有名なフロイト統合失調症でしたよね。頷けます。

 

さらに、治安の悪いベルリンでは暗い時間に外出はできません。ですので買い物は、太陽の出ている午後1時から2時の間に限定されます。

 

もっと辛いことはあるのですが、この辺にします。

 

 

厳しい冬と、喜びの春

 

春のピクニック(Adobe stockより)

 

私がここまで長々と書いた理由は、冬の厳しさを語らずしてヨーロッパの春は語れないからです。


ヨーロッパの人たちがいかに太陽を待ち望んでいるか。春になって日の光が戻って来ると、日本人には想像もできないほどの喜びを胸いっぱいに感じるのです。


春になって、ドイツ人の友達に誘われてシャルロッテンブルク宮殿の公園へピクニックに出かけました。

暖かい風が吹き、小鳥がさえずり、リスが遊びまわり、太陽の光に包まれながら、私は春の訪れを心から味わいました。

半年の不自由な穴蔵生活からの脱却です。やっとここまで生き延びた!と思えました。


そんな、人々の溢れる喜びを表現しているのが、イースターというお祭りなのです。

 

ドイツ語も英語も話せない普通の主婦がベルリンで暮らすことになった話

 

ドイツのタクシー


①  ベンツが肌色?

 

わたしたち一家はベルリンで壁が開いてから暫くして西ベルリンで暮らすようになりました。


凄く広めでボロボロではありましたが、夫の願いで東ベルリンの電波塔が良く見える築150年は経っていると思われるマンションを借りました。

 

30年も前の話なので、今とはだいぶ事情が違っていると思いますが、NOVAやTVのドイツ語会話では知ることのできないベルリンでの生活についてお伝えしたいと思います。

 

 

日本からドイツへ向かう時、

やっぱり飛行機はルフトハンザがいいと思って機体だけは頑丈な飛行機を選びましたが、まるでサービスがないフライトは辛かった。


子供(1歳半)も飽きてしまうし、ぐずらせないないようにするのは大変。これが、スカンジナビア航空SAS)だったらと何度思ったことか(ため息)


特にロシアの上空にくると一度は降りたくなってしまう。

そこで日本語を話せるスタッフさんにきてもらって降りれないか聞いてみた。
駄目に決まってることはわかっているけれど気を紛らわす上でも聞いてみる。(これは反省、すぐに人に頼る性格を改めなくては)


ロシアで降りたらとんでも無いことになると様々な恐い話をしてもらう事になった。子供も小さくても命がかかっている事がわかったらしく、真剣にスタッフさんの話に聞き入る。我慢しなければならない事を理解してくれた。


話が終わると眠たくなったみたいで席で寝てくれてとても助かった。

(ルフトハンザのスタッフの方にはVielen Dankeです。日本人のスタッフの方はとても親切でいい方でした)

 

 


やっとのことでベルリン到着

 

到着した空港はまさかのテンペルホフ空港[Flughafen Berlin-Tempelhof]

 

ここはナチスドイツが軍事用に使っていた空港で、普通はテーゲル空港[Flughafen Berlin-Tegel]に到着するはず。ところが何かの不具合でテンペルホフ空港に到着してしまった。


今は無くなっているテンペルホフ空港は、空港ならではの賑わなく恐ろしいナチスドイツの香り漂う無味乾燥なところだった。


「何で私、こんな所に来ちゃったのだろう」とこれから起こるベルリンでの生活が不安でいっぱいになった。

 

 

追い撃ちをかけるように入国審査

ただでさえイカツイドイツ人が怖い表情で立っていた。

 


「あー入国審査に落ちたら日本に強制送還だ!」と不安に思う中、何とか審査を終え、空港を出るとイカつい車が並ぶTaxiplatz。

 

夫が「これが噂のドイツ自慢のベンツタクシーだよ」と教えてくれる。


でも何か変?
確かベンツは黒い色してたよね!

 

それが、見える車はみんな肌色


実際に見てみるとどうしても肌色のベンツには違和感を感じる。
 
なんて言ったって高級感がない。日本のタクシー「東京無線」の方が良い車っぽい。

 

それにいくら待ってもドアが開かない。夫がドイツのタクシーは自分でドアを開けなければならない事を教えてくれる。
(すごく不便。ちょっとしたことかもしれないけれどこれは日本の便利さを痛感させられた。)
だって、降りた時も締めなければならない。(小さな子供を抱っこしている母親には手間だ)

 

とにかくタクシーに乗ってホテルの名前と通りの名前と番地を言ってホテルまで送ってもらう。

 

そして清算。NOVAで習ったチップ計算しなくちゃ。

そんな余裕はない。金額の10パーセントなんてとっさに計算できる?

とりあえずお金持ちと思われている日本人だし今日は一生に一度しか泊まれないヒルトンホテルだし、5mark(日本円で500から700円くらい)
払っておこう。日本で両替えしてきた小銭を渡す。


あとは「Vielen Dank」と「Gute Nacht」

ホテルのチェックインは夫に任せて部屋に直行!一生に一度の贅沢を味合おう!

お風呂にはいってGute Nacht